お知らせ
- 2024.11.21 [PR]
- 2017.10.29 [石田倉庫のアートな人々]#21 町田結香(画家)
- 2017.10.29 [石田倉庫のアートな人々]#20 星野裕介(ペインター)
- 2016.11.10 [石田倉庫のアートな人々]#19 栗真由美(現代美術家)
- 2015.11.04 [石田倉庫のアートな人々]#18 伊藤まどか(jewelry)
- 2015.11.04 [石田倉庫のアートな人々]#17 保谷さゆり(絵画)
- 2015.11.04 [石田倉庫のアートな人々]#16 松瀬勇樹(絵画)
- 2015.10.29 [石田倉庫のアートな人々]#15 群馬直美(葉画家)
- 2015.10.29 [石田倉庫のアートな人々]#14 Barnaby Ralph(ギター職人)
- 2015.10.29 [石田倉庫のアートな人々]#13 石田家(石田産業有限会社)
- 2015.10.26 [石田倉庫のアートな人々]#12 関田 孝将(造形作家)
- 2015.10.26 [石田倉庫のアートな人々]#11 島内 聡士(金属造形)
- 2015.10.23 [石田倉庫のアートな人々]#∞ 手品をするおじいさん
- 2015.10.15 [石田倉庫のアートな人々]#10 山上一郎(家具職人)
- 2015.10.12 [石田倉庫のアートな人々]#09 茂井健司(現代美術家)
- 2015.10.12 [石田倉庫のアートな人々]#08 鈴木佳世(陶芸家)
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町田さんと同室の星野さんがそれぞれのエスキース(下絵)を交換して、
「私は、人づきあいが苦手で。もっとうまくコミュニケーションが取れたらいいのになというコンプレックス が、人物画を描いている理由かもしれません。絵に対しても、見る人の無関心が一番怖くて。だから、見る 人に何かしらの感情を与える絵が描きたいと思っているんです。」
「自分が思っているほど」(油彩、キャンバス)1167 × 3701mm
町田さんは小さな頃から絵を描くことが好きで、母親から「美大へ行けば美術の勉強だけができる(=ずっと絵を描くことができる)。」と聞き、保育園の頃から美大へ行くと決めていたそう。
「それが受験のときに、受験のための絵ばかりを描かなくてはならなくなって、好きな絵を描くことを押さえられてしまって。でも、大学に入ってすぐの夏休みに必死に描いて出したコンクールの絵がきっかけで、セオリーに関係なく、自分の絵を好きなように描こうって決めたんです。」
(2012 世界絵画大賞 大賞受賞作品)
「子どもの頃から、人との直接のコミュニケーションが苦手だった分、絵を描くことで人が反応してくれることや、絵を見て何かを感じてくれることに、とても喜びを感じていました。私にとっては、人とのコミュニケーションのツールが " 絵”だったのかもしれません。大人になった今も、こうして好きな絵を続けられる環境や、 親の理解、応援をしてくれる人が周りに多いことは、本当に有り難いことですよね。」
●町田結香さんのホームページ
http://yukamachida.wixsite.com/yukamachida
(文責:小林未央)
「実は、普通の大学を出てサラリーマンをやってから、美大に入ったんですよね。」 星野さんは明治大学法学部を卒業後、広告代理店の営業として就職。仕事を通じて、美術館に行ったり、美 術に触れる機会が増え「こういう世界があるんだ」と美術に興味を持ち、サラリーマンをやめて、美大の道へ。
「武蔵野美術大学で油絵を専攻して、そのまま大学院に進んで。卒業後に個展を開くために作品制作ができる アトリエが必要だった時に、同級生だった町田さんから石田倉庫の話があって、ここにアトリエを構えるこ とになりました。」
「夢なら醒めないで」(アクリル・ジェッソ・パネル)380 × 455mm 2017
「この 10 月に銀座の GALLERYb.TOYO で開催した個展のテーマが〈夢から醒めたら〉だったんです。作 品は「こんな森、現実にあるんだ」とか「こんなこと実際にあったら怖いだろうな」とか、「UFO に連れ去 られた人はどんな気持ちで帰ってくるのかな」とか、現実にある風景の写真や、映画のワンシーンからインスピレーションを受けて作ることが多いですね。作品を作る際は、まず、自分の中のイメージに沿った写真 を探し、プリントアウトした写真をもとに複数を組み合わせてスケッチし、ある程度おおまかな設計図を描 きます。色は描きながら決めるので、参考写真の元の色に影響されないよう、モノクロでプリントしています。」
「制作って苦しいんですよね。自分には、“どうしても絵が描きたい”というモチベーションが自分の中にある訳ではなくて。どちらかというと、人にいいと言われたり、評価されたりと、外部に左右されるところが あります。こうして絵を描いているのは、たぶん、自分は巡り合わせがいいからなんです。油絵を描いてい るのは、たまたま大学で最後に描いた絵が良かったから。最近は作品の中に自分の趣味を入れるようにして いますが、今後はどういう形になるか分かりません。でも、これからも制作はずっと続けていきたいかな。」
●星野裕介さんのホームページ
https://majimeeropop.wixsite.com/mysite
(文責:小林未央)

東京学芸大学大学院の美術教育工芸科を修了後、伝統工芸の金属の制作を手がける先輩のアトリエを間借りして金属を素材に作品づくりをしていたという栗さんは、ひょんなことから13年前に石田倉庫にアトリエを構えましたそうです。
「石田倉庫にはさまざまな制作を行うアーティストの方がいらっしゃって、工芸とは違う世界を垣間みて、とても刺激的でした。石田倉庫に来て、“モノ対自分”の表現である金工ではなく、空間全体を作りたい、“空間の中の自分”を表現したい、今やりたいことを、今やりたい。と思うようになり ました。」
「学生の頃から、空間を作ってみたいという気持ちはあったのですが、その方法が分からなかったんですよね。でも、石田倉庫のみなさんを見て、深く考えないでやってしまえばいいって思って。公募展に出品したきっかけも、石田倉庫にアトリエを構えている現代美術科家の塩川さんから『公募展に出してみたら?』ってすすめられたことからでした。塩川さんは覚えていないかもしれないけれど(笑)」
「記憶のボトル」の作品は、2013年の瀬戸内国際芸術祭の開催の3ヶ月前に香川県男木島に現地に入り、「島の人と一緒に作り上げる空間を作りたい」と思い、島民の方にご協力頂いて、作りあげたとのこと。LEDの灯りが灯った1000本近くのボトルを展示したインスタレーション作品のボトル一つ一つには、島民の方々の生活の中で記憶に残る思い出が入っています。

内側から灯りが光る様々な建物が集まり、幻想的な光を放つ「builds crowd 」は、2015年の神戸ビエンナーレでは奨励賞を受賞。「このおうちのシリーズは、街の建物を撮影して展開図にして組み立てて、中からLEDの灯りを灯しています。この時は“光らせること”までは出来たけれど、もっと高度なこと、例えば光を制御して点滅させたり、灯りをコントロールしたいと思って。今、この“光を制御すること”に試行錯誤して取り組んでいます。ロボットの製作をしている知人に聞いたりしているんですが、制御の世界って奥が深いんです、自分の知識が少なすぎて…。」
日だまりで猫のマンジ君を撫でながら、「石田倉庫には様々な分野のアーティストやクリエイターのかたがいらっしゃるので、困った時にアドバイスやヒントを頂けるんですよね。石田倉庫を出てから3年経ちますが、石田倉庫のみなさんの存在はいつも心強くて。」とおっしゃる栗さん。
“まずは空間を見てから、その空間に合わせて作る”、空間ありきの作品づくりを行う栗さんの新作。石田倉庫のスロープ下の部屋に、どんな世界が広がるのか。どうぞお楽しみに…!
●栗真由美さんのホームページ
http://www.ne.jp/asahi/kuri/mayumi/kurimayumi/top.html
(文責:小林未央)
コンテンポラリー・ジュエリーというジャンルのジュエリーを制作する伊藤まどかさん。石田倉庫No.3の2階にアトリエがあります。手前に見えるのはマネキンの上半身。
「私が作っている作品は、身につける彫刻=ウェアラブル・ジュエリーとも言われています。商業的なジュエリーは流行や時代性があったりしますが、私はそういうものではなく、自分だけが考えて表現できるものを作りたいと思っていて。大学在学中は女性のラインを意識した作品を作ったりしていました。」
まどかさんは、高校3年生の夏、武蔵野美術大学のオープンキャンパスで金工の鍛造場を見て「かっこいい」と思い、工芸科への進学を選んだのだそう。そして、鉄を中心に金属造形を学びながら、ジュエリーのジャンルの広さにのめり込んでいきます。
卒業後は、「金属しか知らなかったので、特に鉄以外の素材に取り組む機会が多そうな会社で働きたい」と、CMなどの美術や造形制作を行う会社に入社。はじめは会社勤めをしながら、自分の制作も出来たらと思っていたそうですが、忙しい毎日に追われ、自分の時間はとても持てず、さらには、学生の頃からの腰痛悪化。これを機に、自分のやりたいことを改めて考え直しCM会社退社。「自分の力量と状況を考えてゆっくりゆっくり制作ができる環境を作りたい」と、アトリエを構えることにしたそうです。
[右]「流れ る」(2010)iron, stainless steel wire, solder/H620×W330
「私のジュエリーは、普段使いはできないかもしれませんが、何か特別な時にこれさえ身に纏っていれば、堂々と晴れやかな気分になれる、そんな作品です。ぜひ、見にいらしてください。」
伊藤まどかさんのホームページ
http://www.itomadoka.com
赤ビルの2階の一室を、粟津夕貴さん、竹下千尋さんと3人でシェアして、アトリエを構えている保谷さゆりさん。白い机の上にはパステルカラーの色とりどりの作品が並んでいました。
「仕事をしているので、休日くらいしかここで作業出来ないのですが、石田倉庫に来ると安心するんです。いろいろなかたがそれぞれ制作をしていて、みなさんが居らっしゃると思うと。」
保谷さんは大学では銅版画を勉強し、卒業後は雑貨の商品企画の会社に就職しましたが、商品の企画から製品化までその一連のサイクルが早すぎて疑問を感じ、退職。いまは、事務職のOLをしながら、絵画制作を続けています。
子どもの頃から絵本が好きだったという保谷さん。描くモチーフは、夢で見たような知らない景色や、映像なのに匂いを感じるような感覚、見たことがないのに見たことがあるようなイメージなのだそう。「子どもの頃から家に絵本がいっぱいあって。絵本が好きだったから、絵が好きになったのか、絵が好きだったら、絵本が好きだったのか、どちらかしら。」
「社会に出て、転職をして、自分の毎日のくらしが安定するまで、大きいものを描いては描きかけて、ストップして。また描いて。その繰り返しだったんです。それで、少し落ち込んだりしていたんですが、やっぱり絵を描きたいなって思って。最近になって、小さいものから始めたら、また描きたい気持ちが強くなってきました。」
冒頭で「石田倉庫に来ると安心する」とおっしゃった保谷さんですが、実は、同じく石田倉庫でアトリエを構える塩川岳さん、宮坂省吾さんは、予備校時代の先生だったとのこと。大学へ行き、社会に出て、また石田倉庫で再会。「絵を続けてきたから、いまここでこうしてお世話になった先生がたにも再会できました。」
[右]「にわとりの王様」 2009年 A4画用紙 透明水彩・ボールペン
つい最近、実家で飼っているうさぎをモデルに、お母様が物語を書いたそうで、保谷さんがその絵を描き絵本にしようという話が出たそう。子どもの頃、絵本がいっぱいあったのは、こんな素敵なお母様がいらっしゃったからなのですね。「母が作った物語に私が絵を描いたら、母も喜ぶでしょうから。」いちばん身近な人を幸せにするところから制作が始まる絵本―。保谷さんご自身にも素敵な物語が始まります。
保谷さんのホームページ
http://houya-sayuri.jimdo.com
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「このアトリエを借りるのに、10年かかったんですよ。」そう笑いながらおっしゃった松瀬勇樹さん。普段は金融関係のサラリーマンをなさっており、仕事帰りの夜間、もしくはお休みの日にアトリエに来て、絵画制作をなさっている石田倉庫のメンバーの中でもちょっと変わり種のアーティストです。
石田倉庫に初めて来たのは、26歳の時。アメリカの大学でファインアートを専攻し、ペインティングやドローイングなどを学んだ後、日本に帰国。絵画制作ができるアトリエを探していた時に、自宅から比較的近い石田倉庫のことを知り、立ち寄ってみたのだそう。
「その時、大家さんのご両親が対応してくださったのですが、今は空きがないから、空いたら連絡するとおっしゃって。その日は、縁側でお茶を頂いておしゃべりただけで帰ったんです。」
そこから10年経っても連絡はなく、ふと37歳になった時に思い出し、それからは、ほぼ毎週末石田倉庫に様子を見に足を運んでいたのだとか。「この“倉庫”の感じが好きなんですよ。」
そして去年、ちょうど今のアトリエの部屋が空き、晴れて念願かなって入居できたのだそうです。
「アトリエには、作品づくりに来てるはずなんですけどね。ほら、仕事が終わってから来るでしょう。お腹空いちゃったな、何か作ろうかなって。料理とかしちゃうんですよ。で、材料とかこだわっちゃうんで買い物にも時間かかっちゃって。料理が出来たら、アトリエにいらっしゃる他のかたをお招きしたりして、なかなか制作が進まなくって。何しにアトリエに来てるんだって話ですよね(笑)」
松瀬さんのシャポー(帽子)にビーチサンダルのファッションも気になるところ。もしかすると相当なお洒落さん?「ビーチサンダル。そうそう、サーフィンが好きなんです。昨日も海に行ってたんですけどね。ビーチサンダルって便利なんですよ。」なるほど、アトリエの壁にも作品と同様、サーフボードやスケートボードが立て掛けてあります。
「ファッションで言うと、大学卒業後すぐに、アパレルで起業したりしたこともありました。洋服とか好きなんですよ。でも、売れませんでしたねぇ(笑)。帰国してから、アーティストの仲間とzineやフリーペーパーも作ったりしていました。」
大学ではARTを学んで、アパレルとITで起業、そして今は金融関係の会社にお勤めしながら、アトリエを構えて絵画の制作をしたり…。サラリーマンとアーティストという一見、結びつかない両極端な二足のわらじ(ならぬビーチサンダル)を履いている松瀬さん。
「Mama, You're a Knock Out」は、女性に対する褒め言葉なんですよ。と松瀬さん。
日本語に訳すのは難しいなぁとのこと。「しいていうなら、“マブイ女”かな。」
「子どものころ、銀行マンだった親が休みの日に公園に絵を描きに行っていて。自分もよくそれについていってましたね。子どものころから絵を描いたりするのは好きでしたよ。」
お話をお聞きしていると、ライフスタイルの中にごくごく自然に「ART」があって、他の趣味とも交差しながら、仕事と好きなことを両立させて、謳歌なさっている様子が伝わってきます。
“artist”というよりも、どこか“cityboy"という言葉がぴったりの雰囲気なのもうなずけます。
「この作品、2枚で一組の作品なんですが、右の絵、香水のボトルみたいでしょう?実は、大音量で響いているアンプの絵なんです。分かります?振動で揺れているんですよ。こちらの左の絵は、音がうるさくて耳を塞いでいる若い女性です。」
作品の言葉選びや、ひとひねりあるモチーフや表現も、ウィットに富んだ都会的な印象です。
「そういうわけで、実はまだあまり作品を描いていなくって。」今年のアトリエ展では、アトリエでの作品展示の他に、窯焼きのピザ屋を出店するそうです。
松瀬さんのアトリエは、1階が木とりさん作業所のNO.5、2階にあります。ピザは1階のバーの外に出店予定とのこと。ピザもきっと素材や生地などにもかなりこだわった逸品になるのでしょうね。当日が楽しみです。
石田倉庫にアトリエを構えて 29年。群馬直美さんは、原寸大の葉っぱを精密に描く「葉画家(ようがか)」です。アトリエには、制作中のモデルの葉っぱや野菜、それらを描くために撮った写真、テンペラの顔料のボトルが並んでいます。群馬さんの描く葉っぱは特別珍しいものではなく、身近な街路樹や道ばたに生きる植物。同じ葉っぱでも大きさや形、色合い、虫食いなど、一つとして同じものがありません。群馬さんは、それらをありのままに、ていねいに時間をかけて絵にしていきます。
立川駅北口のそば屋「無庵」店主竹内さんより頂く
1.21収穫紙(アルシュ極細)/テンペラ
size:460㎜×610㎜
「自分が思ったことが人に伝わらないなんて―。ひょっとして私の感覚は、世の中とズレているのかな…。」
自分自身の中で問いかける日々が、3カ月続きました。冬の終わりのある日。いつものように鬱々とした頭で、倒れそうになりながらジョギングをしていた時のことでした。ふと見上げた街路樹の枯れ枝に芽吹いた、新緑の輝きに、ハッとしたそうです。「心の奥深くに、その美しさが染み入ってきました。ぐるぐる回っていた問いかけも、ぴたりと止みました。ああ、この美しさを伝えたい。今、私が味わったこの感覚をみんなに伝えたい、と思い、その日から葉っぱをテーマにした創作が始まりました」。
そして、初めて制作したのが、この絵。芽吹きたてのヤマブキの葉で描いた、葉っぱの幾何学模様作品です。「子どもが怖がって泣いた作品は、いろんな素材や技法を駆使していたので、私を深く癒してくれた葉っぱの輝きは、“誰でもできるシンプルなやり方” で表現したい、と思ったのです。」かたわらに転がっていた筆ペンを手にし、 魚拓のような要領で葉裏を黒く塗り、紙の上に置いて、葉脈の感触を確かめながら、 指でこすり紙に写し取っていきました。
size:334mm×237mm
アトリエ階下の茂みにて 板/テンペラ size:223㎜×275㎜
群馬さんの描く絵は、一瞬写真かと思うくらいに緻密です。「それなら写真でいいんじゃないか? って、思ったりもします。でも、採取した葉っぱは、やがてしおれて朽ちてしまいます。それは、私も同じこと。時間と労力をかけて描き写すことで、作品の中で “永遠の命” を得ることができるんです。葉っぱも、私も―」と群馬さん。 たとえば同じ大根でも、写真で見るよりも、群馬さんが 5 ヶ月かけて描いた大根の絵を見たほうが、 不思議なことに細かい部分に目がいきます。変色した葉っぱ、葉脈、虫食い、しみ、細く伸びた根っこ。これは、群馬さんが感じ捉えた1つ1つの「輝き」が、作品を通じて私たちの心に届いた証です。
部位ごとに撮った写真とパレットが並ぶ作業中の机。
2005年より、世田谷美術館の「美術大学」を皮切りに、葉っぱワークショップ活動も開始しました。34年前に初めて描いた “誰でもできるシンプルなやり方” を今度はみなさんに教えていらっしゃるそう。大人も子どもも絵を描けない人も、その魅力にはまっているそうです。「やっぱり、無駄なことなんかないんですね。」
「公園文化 WEB」サイトでアートコラムも執筆したり、書籍の出版も行っている群馬さん。群馬さんの「葉っぱの精神」は、作品を通じて、見る人の心へと伝わり、わたしたちの心でまた新しい光りとなって輝きます。
群馬さんのホームページ(木の葉の美術館)
http://www.wood.jp/konoha/
公園文化WEB(アートコラム連載)
http://www.midori-hanabunka.jp/gart1
群馬さんの書籍
「言の葉 葉っぱ暦」(けやき出版)http://www.keyaki-s.co.jp/hap-untitled.html
「街路樹 葉っぱの詩」(世界文化社)http://www.sekaibunka.com/book/exec/cs/07236.html
「群馬直美の 木の葉と木の実の美術館」(世界文化社)
http://www.sekaibunka.com/book/exec/cs/14235.html
紙/透明水彩・アクリルガッシュ size:650㎜×570㎜
2015年4月から新しく入居したギター職人Barnaby Ralph(バーナビー・ラルフ)さん。天気のいい日には住まいのある西荻窪から往復2時間かけて、石田倉庫のアトリエにいらっしゃるそう。わざわざ立川まで!と驚くと、「わたしの家にはテレビがないから。一般的に人は2時間テレビを見るそうです。その2時間をわたしは有効活用してるんですよ。」とのこと。言葉の選び方、話し方がとても面白くて、思わずお話に引き込まれてしまう、不思議なかたです。
バーナビーさんがギターを手づくりするようになったのは、5〜6年前の40歳のとき。どうしてギターを作るようになったのですか?と聞くと「ミッドライフ・クライシス(中年の危機)ですね。多くのこの時期の男性は、高級スポーツカーを買うか、不倫をするかを選ぶそうですが、スポーツカーは高価ですし、不倫はたいへんですし。それで、わたしは安上がりなギターづくりを選びました。」と、これまた、冗談まじりなお返事。
まるでなぞなぞを解くようにお話を聞いていくと、実はバーナビーさん。日本にいらっしゃる前は、ウィーンでクラシックのフルートやリコーダーの奏者として活躍なさっており、音楽歴12〜35歳のプロのクラシック演奏者だったそうです。「クラッシックの世界はアスリートの世界。毎日何時間も練習しなくてはならなりません。でも、ギターはhobby。そして、ギターづくりは仕事のkick back。わたしにとって一番リラックスできる時間なんです。」
とにかく手づくりにこだわっていて、ボディもピックアップもエフェクトも全部バーナビーさんの手づくり。「父も趣味で木工をしていて、とても真面目なクラフトマンでした。いま、わたしが持っている知識は、父から色々と教わってきたものばかり。父が亡くなってから、初めてそのことに気がついて、父の存在をリスペクトするようになりました。だから敬意を払って、屋号を父の名前であるJames Ralphとしたのです。」
作ったギターはどこで買えるのですか?と聞くと、「主にFacebookやオンラインフォーラムで関心のある人に販売しています。そして、作ったギターは全てチャリティで、ギターを買った人の評価で値段を決めてもらい、その金額をVDCA(VOLUNTEER DEVELOPMENT CHILDREN'S ASSOCIATION)を通じてカンボジアの子どもたちに寄付しています。わたしはギターを作って、買った人はギターを楽しんで、そして子どもたちのためにお金が使われる。お金をそのまま寄付するよりも、みんなが幸せで、自分の気持ちもいいのです。」
また、アトリエ展では、ギターの試奏やバーナビーさんと友人によるライブもあるそうです。興味のある方はぜひ、知的ユーモアたっぷりの気さくなバーナビーさんに会いに、アトリエ展にお越しください。
バーナビーさんのYouTubeチャンネル
https://www.youtube.com/channel/UC1PgN937SQNGGqTv33iNNfg
「わたしたちの写真は撮らなくてもいいわよ」と、遠慮なさるところを、では小さく写るように撮りますと、倉庫スロープ下の赤いドアの前で並んだところをパチリ。写真右から、石田菊江さん(常務取締役)、高章さん(代表取締役)、幸枝さん(高章さんの奥様)。石田倉庫の大家さんである石田産業有限会社のみなさんです。
石田産業の前身である立川機械製作所がこの地に設立されたのは1927年。創設者は現代表取締役である高章さんの祖父吉蔵さん。戦時中はこの一帯は軍需工場で、立川機械製作所もその一端を担っていたそうです。戦争が終わり工場も閉鎖。厳しい時代を経た1961年に、高章さんの父である隆一さんが、井戸工事や地質調査を中心にボーリング事業を展開する石田産業有限会社(石田ボーリング)を設立。
[右]その当時の社屋
隆一さんについてはこちらもどうぞ「手品するおじいさん」
それから30年以上経った今、近くにあったアパートは火事で消失、芸術家たちの住んでいたハウスも取り壊されて、時代も変わり周辺の景観は変わってしまいましたが、石田倉庫は変わらず芸術家たちの活動を支援しています。
アトリエの方々はもちろん、地域の信頼と人望の厚かった隆一さんは、2014年の春、永眠。2015年現在は、不動産業を中心とした事業を展開。隆一さんの遺志を継いでアトリエを見守っているのが、高章さんをはじめとするこの石田家のみなさんです。
実は、そんな石田家のみなさんも、クリエイティブ一家。毎年アトリエ展にも作家として参加しています。「おやじ(隆一さん)の趣味が手品でね。アトリエ展では毎年手品を披露してたんですよ。2014年のアトリエ展では、アトリエのみなさんが亡くなったおやじのことを偲んで『てのしなしな』(=手品)をテーマにしてくれて。うれしかったよね。」
曲がったり膨らんだり、まるでビンに命が宿ったよう。
左のゾウさんは友人へのプレゼント。
[右]ワークショップで制作予定のイチゴ
菊江さんは駐車場前のNO.5の1階、幸枝さんは赤ビルの3階で毎年出店なさっています。
「ぼくたちもね、このアトリエ展を毎年とても楽しみにしているんだよね。地域の人や知り合いもたくさん来てくださるから、来るみなさんに楽しんで頂きたいしね。」と、石田倉庫のアトリエ展は、大家さんである石田家のみなさんも、大活躍のイベントなのです。
何と言っても、大家さんと入居者が一丸となって開催するアートイベントは、他の地域では類をみない素敵なイベントです。今年も、来年も、これからもずっと、みなさんの夢と志が未来へと続きますように。
「8年越しのタレも言うならば“アート”かな(高章さん)」
http://www1.ttcn.ne.jp/ishi-san/
「スプーンからお店まで」。これは、2014年3月に国立市谷保のギャラリーcircle [gallery & books]で開催された関田孝将さんの個展タイトルです。このタイトルのとおり、関田さんは生活の中で日々接することの多い暮らしの「道具」や「家具」、そして「空間」づくりまで、幅広い作品を手がける造形作家です。
関田さんは大学を卒業後、造形の仕事をしつつ、学校で学んだ「鍛金」の技術を活かし、机一つのスペースで銅板を叩いて作れる、スプーンのような小物づくりから始めたそう。「当時はまだ珍しかった地方でのクラフト展に、作品を持って行ってみたら、初めての出店で売れたんです。」
これがきっかけで各地のクラフトマーケットなどへの出店が始まりました。こうした出店が増えることで、商品を展示するための陳列棚も必要になってきて、什器類も制作。さらには、この出店での什器を見て、お客様から家具のオーダーも入るようになって、スプーンから家具や什器へと制作の幅が広がっていきました。そして、机一つでは手狭になり、2004年に石田倉庫へ入居することに。
ゆっくりと、言葉を選びながら話す口調やご本人のキャラクターが、作品の雰囲気にも重なります。
[左]角度可変式の靴棚[中央]ノックダウン式の棚[右]ハンガーラック
[左下]石田倉庫アトリエ展(2013)[右下]国立市circle [gallery & books](2014)
http://sekita-w.com
石田倉庫のスロープ下に並ぶ赤い扉。そのうちの一つ、ドアの上にヨーロッパの街にあるような鉄製の看板が出ているのが、島内聡士さんのアトリエです。看板には、「heat trick — magical metal works」という文字があります。
「金属って、固くて扱いにくい素材でしょう。ぼくらは、そんな素材からなんでも作り、形にするんです。一枚の金属の板を叩いて形にする、やりにくさがあるからこその面白さと楽しさ。金属造形って、本当にtrick やmagicなんですよ。」
アトリエの中に入ると、作業に使う様々な道具が整理されて壁に並び、シルバージュエリーショップのような雰囲気。並んでいる道具も作品のように見えてきて、思わず見入ってしまいます。
「おしゃれなアトリエですね」と言うと、「道具そのものが形が面白くて格好がいいからですよ、きっと。これなんか、昔の鍛冶屋さんみたいな道具でしょう。金属に当てて叩いて成形する時に使う道具なんですが、ぼくたちは、こういう道具も自分で作るんですよ。」と教えてくださいました。
[右]アトリエの中、作業台のディスプレイも作品のようなしつらえ
「生きているもので一番身近にあるものが人体。2009年、大学3年生の時には、自分の腕をモチーフにした作品を作りました。人体という金属からかけ離れたものをただの金属から作ってみたくて。まず親指から始めて、金属板を叩いて叩いてつなげていって、形にしていきました。」
ジュエリーやランプ、帽子用のディスプレイなどを展示販売
「東京オリンピックの年には、すでにあった」とも、「昔、小麦粉倉庫だった」とも、人は言う。ここが、我らのアトリエ、石田倉庫だ。
石田倉庫は、1本の樹みたいだ。ふさふさ茂る木の葉みたいに、いろんな能力に長けた人たちが、大勢、集まっている。
ある日、木とり山上さんがひらめいた。アトリエ中を小鳥のように飛び回り、みんなに呼びかけた。
「アトリエ展をしよう」。
こうして、「石田倉庫のアートな二日間」がはじまり、今年で10年を迎えた。
アトリエ展には、大家さんである石田さん一家も参加して、大いに盛り上げてくださった。この4月に他界された石田隆一会長(石田倉庫をアトリエとして貸しはじめた人物。創始者)も、いつも楽しい手品を披露してくれた。種が丸見えの手品に、大人も子どもも、大喜びだった。
石田会長は、母屋の外に並べたテーブルで、よく、手品の種を仕込んでいた。
「老人ホームのお年寄りたちに見せると、とても喜ぶ」
と、自身も充分老人なのに、ニコニコしながら準備していたのを思い出す。
バス通りに面したマンションは、その昔、木造二階建ての洋館づくりのアパートだった。四畳半をたくさん寄せ集めたつくりで、西側部分は運送会社の事務所になっていた。入口には大きなスズカケノキ。その木の下に、アトリエ唯一の水汲み場があった。
私は毎日そこで絵筆を洗いながら、会長さんが身寄りのないおばあさんを母屋の離れに住まわせたり、父親を亡くしひとりぼっちになってしまった居住者の、知的障がいを持つ娘さんのために、小さな家を建てて住まわせてあげたりする様子を垣間見て、
「なんてエライ人なんだろう」
と胸を熱くした。
随分と家賃を滞納したアトリエ住人もいた。そんな時でも、
「毎月こつこつと返してくれているからね」
と笑いながら語っていた。
私が葉っぱを描いていると知ると、旅行で訪れた世界各国の葉っぱをお土産に持ってきてくれた。
極めつけは、私のかなりアブノーマルな即興ダンスに感動し、「富士見町の文化祭で踊らないか」と声を掛けてきたこと。地元の人たちが大勢集まる会場で、思う存分のたうち回りながら踊ったら、とても嬉しそうだった。
このように、訳の分からないものも受け入れる許容範囲の広い人だったからこそ、石田倉庫アトリエは誕生し、30年以上も在り続けているのかもしれない。
そういえば、NHK総合テレビで石田倉庫アトリエから全国へ生放送をしたとき、
「なぜ、アトリエとして安く貸しているのか?」
との問いに、
「夢まで奪ったら、かわいそうだからね」
と石田会長は即答していた。
石田倉庫アトリエで、私は身近な葉っぱの絵を描き続け、夢を叶えてきた。私にとって石田会長は葉っぱ同様身近な存在だった。
だから、私の中にある石田会長の記憶を、葉っぱを描くように、ここに記すことにした。
感謝を込めて……。
「手品をするおじいさん」とは、このように愛すべきおじいさんなのである。
※2014年のアトリエ展の際、葉画家の群馬直美さんが限定200部で配布した冊子より
コンコンコン。アトリエの部屋をノックすると、「さあ、さあ。立ち話もなんですから。どうぞ、どうぞ。お入りください、コーヒーとお茶、どちらがいいですか?」と、とびっきり気さくに出迎えてくださった家具職人の山上一郎さん。「ぼくの作る空間にはデッドスペースって無いんですよ。」とおっしゃるとおり、アトリエというよりも、まるで雑誌の特集に出てくるような収納上手な書斎でした。
山上さんが石田倉庫にアトリエを構えたのは2000年の2月。前職はマスコミで、テレビ番組の制作をなさっていたサラリーマンだったそうです。「当時住んでいた家が狭くて、家に合う棚を作っていたら無性に面白くって夢中になって。夏休みに家具職人さんたちの話を聞きに行ったら、どの人も『家具職人は食えないからやめろ。』って言うんですよ。そして、最後に必ずみなさんこう言うんです。『でも、楽しい』って。そんなに楽しいって思える仕事、素敵じゃないですか。」そして、28歳で転職。職業訓練校や家具屋で修行を積み、「家具工房 木とり」を構えました。
「家具が作りたくて石田倉庫に工房を構えたものの、すぐにたくさん仕事が入ってくるとは限りません。また、展覧会を開くと家具の在庫が溜まっていくので、在庫展を開きたいなあと思って。ちょうどアトリエの前に来る人来る人お茶にさそって話を聞いてみたら、入居者のみなさんが面白い人ばかりだったので、みなさんのアトリエを公開しつつ、在庫展を開いたら面白いんじゃないかと思い、持ちかけてみました。2005年のことでした。」入居者のみなさんも、これまではお互いに誰がどの部屋で何をしているのか全く知らず、このアトリエ展がきっかけで横のつながりもできたとか。
BOOKS&BAR「とんがり書房」をコラボレーション
「夢の最高の喜びは、結果ではなくプロセスです」
山上さんのガラガラポン!で出来る街。想像するだけでもワクワクしてきますね。
事例もたくさんの木とりのHPはこちら(http://www.kitori.jp)
茂井健司さんのアトリエの中にはぐるりと、大きなガラス、ベニヤ板、ダンボール、それから人形の段ボールが壁に立てかかっています。どんな作品を作っている方なのでしょうか。一番奥の隙間から顔を出しているのが、茂井さん。石田倉庫にアトリエを構えて26年の現代美術家です。
茂井さんは、ある「場所」とそこに立つ「人」との間、その間にある「つながり」や「コミュニケーション」をテーマに、ガラスや鏡など「写す」「映す」「移す」素材を用い、インスタレーションやワークショップなどを行っています。
「内側と外側、そして境界に興味があるんですよね。作品づくりは、その展覧会の行われる場所で行います。まずはじめに、作る場所を歩く。歩いているうちに、自分のやりたいことが見つかる。例えば水と縁のある場所なら水を使おう、廃材があるなら廃材を使おう、くぼんでいるならくぼみに穴をあけようという具合に。そこからイメージを固め、形にしていくんです。」
新潟市中央区にある空き店舗を活用したアート・コミュニティスペース「フルマチ・アートスタジオ」では、1ヶ月にわたる水と光を用いたガラスと鏡の構造体の公開制作と、「色あそび・色のひろがり・いろ色」をテーマにしたワークショップを展開しました。
ワークショップでは、子どもたちが実際に商店街のお店に行き、お店の色をイメージ、各店舗のロゴやマークを建物の形をしたオブジェに着色。最後に、公開制作制作したガラスと鏡の構造体の上に、そのオブジェを並べました。作品の上を歩いたり、下に入って見上げることのできる構造物。水との関わり、水への思いを馳せ、この場所にふさわしい表現を体感。まさに、地域と人と一体となって作り上げた作品となりました。
2014.08.05 at 立川市子ども未来センター
去年のアトリエ展では、茂井さんのアトリエには、鏡に無限の自分も映りつつ、鏡越しに相手が見え、映り込み混じり合う不思議な部屋が出現しました。
さて、今年は?とお聞きすると、「今年は部屋を真っ暗にして懐中電灯を持って入るような感じで…。自分自身も自分の創る作品に対して未知の状態なんですが…。そうですね、乞うご期待!って、書いてください(笑)」とのお返事が。百聞は一見にしかず。ぜひ、アトリエ展で体感しましょう!
「ちさき人」
2022年6月近影 space23℃にて
(文責:小林未央)
★を@に打ち替えてください。
- - - - - - - - - - - - -<追記>2015年 アトリエ展の様子- - - - - - - - - - - - -
アトリエが鏡とガラスを使ったお化け屋敷になりました。
日曜日の朝11:00。赤ビル1階にあるpotters-studioにお邪魔すると、陶芸教室の生徒さんたちがアトリエ展出品に向けての作品づくりをなさっていました。淹れたてのコーヒーにおみやげのクッキーをほおばりつつ、手は休めずに時々おしゃべりしながら制作を楽しむ、穏やかな日曜日の午前のひととき。このアットホームな教室の中心にいらっしゃるのが、陶芸家の鈴木佳世さんです。
佳世さんは、石田倉庫にアトリエを構えてから13年。陶芸家になる前は、建築設計事務所でOLをなさっていたそうです。24歳でOLを辞め、自宅に窯まで構えて本格的に陶芸をなさっていたお父様の影響もあり、茨城県笠間焼きの村へ。窯元での修行を経て、2003年独立しました。
暮らしの中で寄り添うように佇む佳世さんの作品。見ているだけでホッと、心がまるくなります。
「その都度、形やテーマを変えて作っています。オブジェに家や教会が多いのは、建築事務所で働いていたこともあるのかな。でも、陶芸家としての活動の軸は、コーヒーカップやポットなど、毎日の暮らしの中で使うことのできる陶器です。制作して、販売して、みなさんの家の暮らしの中で使って頂きたいから。」
「この作品は、樹木葬をしたご両親をいつもそばに感じていることのできる、心の拠り所を作って欲しいという、友人からの依頼で作ったものです。生前のご両親の人となりをお聞きし、結婚当初と晩年の写真をもとに、お二人が一番幸せだったときを想像して形にしました。椅子の中に分骨を納めるようになっています。とっても喜んで頂けて。わたしも作らせて頂けて本当に嬉しかったです。」
出張陶芸教室として、保育園や老人ホームへも行くという佳世さん。保育園での制作がきっかけで、アトリエでも子ども対象の「子ども陶芸てこねり」も始めました。始めるにあたってお声がけしたのが、わらべうたの坂野ちえさんとPate A Chouの藤田曜功さん。教室の窓口や作品の受け渡しなどはお店のノウハウを持つ曜功さんが。子どもたちの緊張をほぐし、リラックスさせるのがちえさんの担当です。わらべうたや手遊びから始まり、仲良く打ち解けたところで、制作へ。制作に疲れたら、いつでもちえさんと遊んで気分転換できるようにと、飽きっぽいこどもたちへの配慮もあります。「時間内に決められた課題をやるのではなく、もっと自由に陶芸を楽しんで欲しいと思って。でも、子どもたちとの時間は、わたしたち大人のほうがいつも楽しませてもらっているんですよ。」
「大人向けの教室では、生徒さんが作りたい物を作れるように、それを作るにはこういう方法があるよ、というのをお伝えするようにしています。人に教えるという場を作ると、一度に色んなことができるんです。それぞれの“こんなものが作りたい”という要望に応えることで、私自身も一緒に色々なパターンを体験できる楽しさもあるんですよ。」
とにかく明るく朗らかな佳世さん。もっと作品をご覧になりたい方、陶芸教室にご興味のある方は、ぜひホームページをご覧ください。アトリエ展で並ぶ教室の生徒さんたちの作品も楽しみですね。
佳世さんのホームページはこちら(http://www.potters-studio.com)。